バンクーバー研究留学(2025年度)
2025年度4月から1年間,ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーに研究留学しています。準備,生活,大学に関するTips,研究会などへに参加した感想をまとめて掲載します。
2025年
- 11月20日(木)REACH workshop: “Nothing, Anything, and Everything: Introducing Postqualitative Research through Conversation”
- 11月18日(火)Public Talk with Dr. Segawa Hazuki, Kwansei Gakuin Univ.
- 10月17日(金)The Japan Lecture Series: Dr. Michi Ann Saki, Doshisha Women’s College of Liberal Arts
- 9月18日(木)Public Talk with Dr. Sergei Glotov: Faculty of Education, UBC
- 8月20日(水)カナダ日本語教育振興会(CAJLE)年次大会 二日目
- 8月19日(火)カナダ日本語教育振興会(CAJLE)年次大会 一日目
- 8月18日(月)BC州日本語教師情報交換会
- 5月13日(火)Panel Disucussion: Blending AI and Human Creativity in Learning
- 5月9日(金)Graduate & Postdoctoral Research Day '25
- 5月3日(土)BC TEAL 2025 Annual Conference, Day2
- 5月2日(金)BC TEAL 2025 Annual Conference, Day1
2025年11月20日(木)11:00~12:00REACH Workshop @UBC, Digital Literacy Centre (PCN1226)
Organizer: The University of British Columbia Faculty of Education, Department of Language & Literacy Education
研究会Dr. Kristiina Kumpulainen, Zhen Lin, Dr. Melanie Wong and Ziwen Mei.
Nothing, Anything, and Everything: Introducing Postqualitative Research through Conversation.
ブリティッシュ・コロンビア大学教育学部言語識字教育学科主催のワークショップ型研究会。4回シリーズの最終回,「何もない,何ででもある,そして全て─会話を通したポスト質的調査入門(牲川訳)」に参加した。
課題論文
このワークショップでは毎回事前に論文が示され,事前に読んでくることが課題となっている。今回の論文は,ワークショップとほぼ同じタイトルのこちら。
- Boden, L., & Gunnarsson, K. (2020). Nothing, anything, and everything: Conversations on postqualitative methodology. Qualitative Inquiry, 27(2), 192-197. https://doi.org/10.1177/1077800420933295
牲川のコメント
ポスト質的調査法について寄稿論文を依頼された著者たちが,寄稿論文を書き上げるプロセスそのものを論文化したもの。メールやオンライン会議,対面でのランチなどでの会話を,著者の感情やその後の思索内容も織り交ぜながら記述している。関係の絡み合いそのもの,人間でない要素も含みこむ方法論として,ポスト質的調査法を表現しようとした論考だった。この論文については,一瞬,ソーカル事件の再来かと誤解してしまった。
ワークショップ
UBCの言語識字教育学科には,批判的識字学,脱植民地主義的教育学の研究者が多数在籍している。イデオロギーやアイデンティティを主要なテーマとする研究者たちが,質的調査をどのように捉えているのか,その最先端の議論が垣間見られるのではと期待して参加した。
ゲストスピーカー3人とその他の参加者約10人のこじんまりしたワークショップで,時間は60分。次のような流れで進められた。
- ゲストスピーカーによる課題論文に関連したキーワードやポイントの説明(Entangled, Assemblage,Co-generating,Moving,Inter-viewからIntra-viewへ,Posthumanismなど)
- グループ・ディスカッション。感想・質問を紙に書きだし(知っていること,さらに考えたいことなど,いくつかのポイントに分けて書く)
- ゲストスピーカーによる自身の研究と方法の紹介(継承語に関してのインタビューとフィールド調査)
- グループ・ディスカッション。グループごとに異なる設問が割り当てられ,それについて話しあいながら,話しあい自体を記録
- 4の結果の共有
ゲストスピーカーによる話の要点は,次の二点にまとめられるだろう。
- ポスト質的調査法は,人間同士の会話内容(言語)だけでなく,人間同士の関係性,絡み合い,表情・感情に加え,人間同士の距離や物,音なども含む,多様な対象を多様な方法でとらえようとする。その研究は動き続ける。
- ポスト質的調査法の核心的な方法論は,調査者と被調査者がともに絡み合い関係を作りながら,ともにデータを作り出していることにある。
牲川のコメント
こうした方法論は,質的調査法のあり方のひとつでありポスト質的調査法と名付ける必要はないのではないか。
要点iの言語以外の多種多様な要素を含みこもうとする点は,トランスランゲージングの方法論にも近いと思う。ワークショップの後半のLin氏による研究紹介で,要点1の具体的な姿を少し理解することができた。Lin氏の研究は継承語の家庭教育の役割に着目するもので,被調査対象となる家庭を訪れて調査を実施していた。紹介されたフィールドノーツには,インタビューでの調査者と被調査者の両方の発言や表情,調査者が感じていたこと,インタビューをしている場所の内外の様子などが記されており,写真には,家庭で継承語が学ばれている場所が写っていた。研究の目的は,継承語の習得に肯定的な影響を与える要素を明らかにすることであり,人間による働きかけだけでなく教材・リソースといった物質的要素に注目することに特色がある(Lin氏の研究)。
言語学や応用言語学分野以外では,言語化されたこと以外を含みこんで記録し研究することは特に新しい方法ではない。文化人類学では当然のことであり,社会学のフィールド調査でも同様のことが行われてきた。教育学で教室環境に目を向ける研究の蓄積もあるだろう。ただ,継承語に関する家庭の影響を調査しようとしたとき,物質的資源を見ようとすればプライベートな空間に踏み込んで観察・記録せざるを得ず,調査者・被調査者双方にとってかなり難しい調査になる。倫理審査を通すことも考えれば,こうした研究の成果は本当に非常なものだ。ただこうした方法を,ことさらにポスト質的調査法,posthumanismと呼ぶ必要があるのかには疑問が残る。継承語が習得される要件を明らかにするという研究目的に対し,言語的要素以外を新たにデータに加え分析した,より包括的で説得性の高い質的調査法の一つということではないか。
要点iiの,調査者と被調査者が影響を与え合い,データをともに作っていく関係性への着目は,比較的新しい方法論だ。しかし,関係性をメタ的に認識し記述するということが,どのような意義を研究結果にもたらすことができるのか。今回のワークショップでの前半の解説では,関係性や変化の重要性が強調されていたが,後半の研究紹介でその点は触れられていなかったと思う。
調査しているうちに,調査者と被調査者の価値観や言動,生活はこう変わりましたという記述にとどまるなら,複数の人間がいて,質量のある関わり方をすれば何らかの影響を与え合うという,ごく一般的な結論しか得られない。他方で,特定の問題を解決するためのアクションリサーチであれば,調査者も含めたアクターたちの動き,関わり全体が,必然的に研究対象に包含されるはずだ。
大学院生を主なターゲットとしていたと思われる今回のワークショップ。60分に2回のグループ・ディスカッションが入れこまれており,カナダに住んではいるものの,英語で議論する機会が少ない私にとって,短時間で濃い研究の話ができるよい機会だった。ディスコース・アナラシスとは異なる質的調査法を知りたい参加者にとっても,充実した内容だったと思う。
参加者から,インタビューしながら自分についてまで記録することは難しい,こういう研究をどう論文にまとめたらよいのかといった,日本でも聞かれる質問が出ていたのもおもしろかった。ゲストスピーカーもこうした手法はまだまだマイナーだと補足していたが,関係の絡み合いや動きを記述すること自体を目的とするような論文であれば,私にとっては価値が判断しにくい。今回の課題論文も,本文を読む限り招待論文だった様子。査読論文を書かなくてよい者だけが使える,特権的な方法ではないのかという疑問も残った。
2025年11月18日(火)14:30~16:00Public Talk @UBC, Ponderosa Commons North
Hosted by Department of Language & Literacy Education, Faculty of Education, The University of British Columbia
研究会Dr. Segawa Hazuki (Kwansei Gakuin Univ.)
The Impact of International Student Policies on the Recruitment of Japanese Language Teachers at Japanese Universities
下記の論文の内容紹介を中心とした発表を行った。
- 牲川波都季(印刷中).留学生受入れ政策により日本語教師の需要は増えたのか─文化庁等による「日本語教育実態調査」の分析『言語政策』22.
背景的知識として,日本・カナダ・バンクーバーの「移民」の人口比,出身国別の割合などを示したのち,論文の概要を紹介した。参加者は少数であり,議論の時間には,日本とカナダの「移民」の定義の違い,大学の日本語教師の代表性,日本語教育推進法の成立過程,登録日本語教員制度と大学の関係など,私が予想していなかった質問やコメントが次々と出てきて刺激的だった。
当日配布資料のTabel 1に関する「移民」の定義について,ここで補足しておきたい。
日本・カナダ・バンクーバーを比較するため,日本については総務省統計局の人口推計,カナダについてはStatistics CanadaのNon-permanent resident type by place of birthの値を使った。ただし,双方の「移民」にあたる概念や内実は異なっており,完全には対応していない。
日本の人口推計は,「総人口」「日本人人口」「外国人人口」という区分を用いている(2025年4月公表分より。それ以前は「総人口」「日本人人口」の2区分だった)。日本人とは日本国籍をもつ者を指しており,日本人人口は日本国籍をもつ重国籍者と帰化者を含んでいる。この日本人人口と外国人人口を合計した人数が総人口である。
一方,カナダでは,「移民」に関する統計データは,一般住宅に居住する人口(Number of persons in private households)を母集団としている。一般住宅に居住する人口という意味での総人口が,Immigrants,Non-permanent residents,Not a non-permanent resident,という3区分を合計した人数である。Immigrantsは,基本的には永住権をもつ海外生まれの住民を指しており,カナダへの帰化者もここに含まれる。また,Non-permanent residentsは永住権をもたない海外生まれの住民のことであり,就労・留学ビザをもつ者とその家族,難民(亡命)申請者からなる。この2区分に入らない住民がNot a non-permanent residentである。
つまり,公的統計上,日本は,日本国籍をもたない者を外国人とするのに対し,出生地主義のカナダは,カナダ生まれでない者を移民または非永住者とするという違いがある。日本は出生地による人口を把握していないため,各国の移民の状況を比較するような調査結果に日本が入っていないことがしばしばある(例えば,OECD/European Commission, 2023)。日本の国籍をもっていたとしても,海外生まれであったり海外生まれの親をもつ場合,その人たち固有の困難がある可能性がある。日本は,日本語指導が必要な児童生徒に外国人だけでなく日本人を含めることで,ここに対応しようとしているようだが,日本語指導の必要の有無を判断するのは人だ。日本も国際的な基準に合わせ,「日本生まれでない者」という区分を採用すべきだと思う。
- OECD/European Commission. (2023). Indicators of immigrant integration 2023: Settling in. OECD Publishing. https://doi.org/10.1787/1d5020a6-en
- 総務省統計局(2025).『人口推計-2025年(令和7年)5月確定値、2025年(令和7年)10月概算値』.
- Statistics Canada. (2023). Table 98-10-0361-01: Non-permanent resident type by place of birth.
2025年10月17日(金)12:00~13:00The Japan Lecture Series @UBC, Asian Centre, Room 604
研究会Dr. Michi Ann Saki (Doshisha Women’s College of Liberal Arts)
Stakeholder Perspectives on Language Support for Ethnic Minority Children in Japan: Centering Voices that Matter
ある日本の地方自治体における,エスニック・マイノリティの子どもを対象とした言語サポートの実態について,主にインタビュー調査から明らかにしようとした研究の発表。
インタビューは,マイノリティ家族,自治体関連の国際交流団体,子どもたちの学習支援にあたる草の根団体,学校に派遣されるサポーター・通訳など,広範囲にわたって行われていた。発表では,サポーターや通訳の派遣が実行されるまでの困難,通訳が生活・勉学支援,家族の相談も受けている現状が紹介された。
「特別の教育課程」としての日本語指導授業も,学校長名で自治体に申請して初めて設置できる。子どもの様子を知っているはずの学校現場が必要性を判断し申請するのは,通常は合理的な手順だろう。しかし今回の発表では,担当教員が通常業務に忙殺されており,サポーター等の派遣を訴えたり自治体に申請する余裕がない現状が指摘されていた。公的な制度が存在するとしても,担任教員,管理職,学校長へと判断を上げていき,自治体に申請するという段階において,どこかでストップしてしまえば制度の利用には至らない。
バンクーバーで子供を二つの公立小学校に通わせた親として見える範囲では,学校側には,制度があれば使うのは当たり前という前提があるようだ。また,英語を第一言語としない子どものための英語取り出し授業が十分だとは思わないが,通常の在籍学級で担当教員による配慮,支援がかなり行われているという印象をもっている。教員の拘束時間は授業開始少し前から終了時までが基本で,一クラスの子どもの数は多くても約30人にとどまる。日本に比べれば,教員の心理的・時間的負担ははるかに少ないように見える(ブリティッシュ・コロンビア州の隣のアルバータ州では,教育環境や待遇をめぐり,教員による大規模かつ長期間のストライキが行われたので,問題がないわけではない)。
どのような制度がよりよい制度なのか,それを実行するためには何が必要なのだろうか。
参考文献
- Saki, M. (2025). Educational equity through language support: Meeting the needs of ethnic minority students in Japanese public schools. Asian Studies: Current Issues and Resolutions. IntechOpen. https://doi.org/10.5772/intechopen.1011412
2025年9月18日(木)Public Talk with Dr. Sergei Glotov: Faculty of Education, UBC
研究会Dr. Sergei Glotov, University of Luxembourg
Intertextual children’s perspectives: Coplanning a professional development module for teachers, with teachers
ルクセンブルクで行われた,就学前教育の教員研修ワークショップの分析。このワークショップでは,教員,研究者,行政職員が協働で教育実践を設計し,教員が実施結果を報告しあいながらさらによい実践を設計するといった取り組みが行われていた。
ワークショップ型研修が設計した教育実践は,『三匹の子ぶた』の物語を利用し,三種類の建物を作らせることで,理科的な感性を養わせることを主な目的としていた。発表者にあとで質問したところ,実践はすべてルクセンブルク語(Luxembourgish)で行われており,一種のイマージョン教育だということだった。
ルクセンブルクでは,人口の半数以上を海外生まれの住民が占め,公用語であるドイツ語,フランス語,ルクセンブルク語以外を第1言語とする者も30%以上に上る。就学前教育は,どのような内容であってもルクセンブルク語で行われることになっている。
発表の中で,教員には3年間で48時間の研修を受けることが課されていると言われていたので,教員が受ける研修を選べるのか,就業時間内に受けられるのかを質問した。ルクセンブルクでは,公的なウェブサイトに研修のリストが掲載されており,そこから教員は自分の興味や必要に応じて選んで受けられるようになっているそうだ。また,研修の受講は義務であり,通常の業務時間外に受けることになっているとのことだった。日本にそんな仕組みはないと話したら,発表者から,こうした仕組みはとても珍しいものでルクセンブルクならではないかという返答があった。
発表のメインテーマは,会話分析等から教員のワークショップでの役割と貢献を明らかにすることだったが,私自身はどのような制度でこうした協働的な取り組みが可能になっているのかを知りたかったので,質問ができてよかった。
※ルクセンブルクの義務教育課程における言語教育については,下記が詳しい。
- 木戸紗織(2017).「三言語話者」と「三言語併用社会」―ルクセンブルクにおける社会の単言語化と語学教育の課題『東北医科薬科大学教養教育関係論集』30,1-22.https://tohoku-mpu.repo.nii.ac.jp/records/692
2025年8月20日(水)カナダ日本語教育振興会(CAJLE)年次大会 二日目
学会午前
今日は9時の発表から参加した。
【口頭発表】水戸淳子「課題作成における“ツール”の使用を考慮した中級ライティング・コースの試み」
大学の「日本研究」専攻の学習者を対象としたライティング授業に,「日本語学習ノート」という振り返りツールを導入し,その効果を検討しようとする研究。
この授業では,もともと学生本人しか書けないテーマの設定をこころがけてきたとのこと。今回例として紹介されていたのは,新しく日本から来た留学生に,大学の食堂の使い方を紹介するための文章執筆だった。中国にある大学の食堂は広大で,初めて行く人にとって注文は相当難しいらしい。ごくローカルな情報に基づく文章を課題とすることで,生成AIを使うとしても内容ではなく言語形式面での利用に向かうよう工夫してきたということだった。
2025年度には,AIは内容面では使わず形式面でこのように使うといったルールと勧めを明文化し,文章を作成する中で新たに学習した語彙や文型,文法事項などをまとめ提出させる「日本語学習ノート」を課したとのこと。AIを使って書いたとしても,学習した言語形式を意識化させることで,習得につなげようという取り組みだ。また私には,AIを使って書けるのだとすれば,学習者自身が言語形式を習得しなくてもよいのではという疑問が残った。「日本研究」を専攻する学生(副専攻を含む)対象の選択科目ということで,日本語学習に意欲的な学習者だからこそ成り立つ授業かもしれない。
【教師研修】山田智久「教師の役割の再考~テクノロジーとの共存の観点から~」
ワークショップ形式の教師研修。アプリケーションを実際に使ったり,テーブルの他の参加者と話したりしながらの研修だった。昨日に引き続き,教師自身が自分の授業の本質を明確にしたうえで,必要であるならばICTツールを使うことの重要性が強調されていたと思う。また,他のさまざまなツールと同様,やがてAIも使っていると意識に上ることもなくなるほど浸透していき,その段階ですべての日本語教師に浸透するだろうという話もインパクトがあった。
私自身は,AIと第2・外国語教育ととの関係は,他の教育分野におけるものとはまったく異質なものと考えており,意識に上らないほどAIが普及した段階で,第2・外国語教育という分野自体が消滅しているのではという危機感をますます覚えた,というのが正直なところだ。
【ポスター発表】杉原由美,伴野崇生「生成AI時代における日本語アカデミックライティング―複言語使用者の「私のことば」を育む教育実践」
アカデミックライティングスキルの伸長をめざした,大学での日本語授業の報告。
生成AIの使用ガイドラインの共同作成を,学習者に課していたのが印象的だった。教師研修での話のように,AIは多くの人々が無意識に利用するほどには浸透しきっていないので,その段階ではあえて向き合わせる必要もあるのかもしれない。私自身の記憶をたどると,Windows 95が大学生に普及するのには数年もかからず,その間にインターネットの使い方を学ぶような授業も受けなかった。日本語の授業でAIリテラシーを高めるような内容を取り入れる必要があるのかどうか。午前中の発表を踏まえても判断がつかない。
今回の実践の趣旨は,生成AIの使用で日本語が均一化してしまうことを問題視し,日本語学習者に関連文献を読み議論させることなどによって,自分らしい表現の意義に気づかせることにある。学習者には,ネイティブスピーカーのような日本語でなくてもよい,自分のことばをそのまま認めてもよいといった気づきがあったということだった。
この場合の自分らしい日本語とは,AIに修正を求める以前の日本語ということになるだろうか。書きことば,話しことばを問わず,より通用性の高い表現(と当人が認識する形式)に修正可能な現状がある中で,修正以前の言語形式や自力で修正した言語形式のオリジナリティを,学習者に伝えることはできると思う。ただAIによる修正を止めることはできるか,または止めるべきなのか。第1言語での表現内容がごく適切な場合,それをAIに第2言語に翻訳・通訳させて出てきた結果に問題があるといえるのか。考え込まされる発表だった。
【ポスター発表】尹智鉉「高次の学習・認知スキルの涵養を目指した国際オンライン協働学習のデザイン―ブルームのデジタル学習目標分類に基づいて」
日本・韓国・台湾の3大学による,国際オンライン協働学習(COIL: Collaborative Online International Learning)の報告。4,5人からなるグループで,「世界に紹介したい日本の文化に関するデジタルコンテンツを作成する」という課題のプロジェクトワークを行ったもの。
一つの大学が主催する授業を,他大学の学生も履修するという形ではなく,3大学がそれぞれの授業の一部をこの活動にあてたということだった。各大学の一授業当たりの時間や開講期間,授業のテーマが異なっており,大学・教師間の調整で実現に至ったこと自体に感心した。
参加者は,日本からは日本語を第1言語とする者,韓国・台湾からは日本語学習者だったと思う。日本にも留学生はいるだろうから,日本の日本語第1言語使用者にとって,オンラインでの海外学生との協修にどのような意義があるのかは疑問だった。発表者に尋ねたところ,参加学生にとっては,異空間(異国)にいる人々が集まり協働するという経験自体が貴重に感じられていたようだとのこと。作業を授業時間内で進めていたこともあって,フリーライダーもあまり目立たなかったらしい。
一つの場に学習者を集め教師が関与するという日本語教育の形は,今後急速に衰退していくかもしれない。こうした形が産業として残っていくためには,対面かオンラインかにかかわらず,その場でしかできない経験というような付加価値が求められていくのだろうか。
※
このあとも,いくつか発表を聞かせていただいたのだが,自分のこれまでの日本語教育実践,今後のカリキュラムやシラバスのことが頭を巡りつづけていた。
2025年8月19日(火)カナダ日本語教育振興会(CAJLE)年次大会 一日目
学会午前
8時半の開会式から参加した。前日の情報交換会同様,Land Acknowledgementから始まった。今回の大会テーマは,「デジタル時代の教師の役割」だ。
【基調講演】山田智久「テクノロジーと教師の意思決定」
なにをどのようにでなく,なぜテクノロジーを使うのかを考えるのが重要,テクノロジーが急速に発達する時代に,反テクノロジー,偶然性の価値が高まっているという見解が印象に残った。
結果的に,反テクノロジーのものや偶然性の価値が高まっているということはよくわかる。そのことが今後,外国語(第2言語)教育に対しどのようなインパクトをもたらすのだろうか。
【口頭発表】小林ヒルマン恭子「先住民教授法を用いたアイヌ民族に焦点をあてた上級日本語コースの実践報告」
現在のカナダでは,教育の先住民化(Indigenizing)が進められているとのこと。本発表では,上級日本語クラスに先住民教授法(Indigenous Pedagogy)を取り入れ,Talking Circle, Community Building, Reflectable Panelといった流れで,アイヌ民族の歴史・現状をテーマとするプロジェクトワークの実践が紹介された。
日本語学習者が,アイヌ民族をエキゾチックなものとして対象化するのではなく,自分とかかわりのあることとして共感することがゴールとされていた。そのために,担当の学習者に自分の問いを立てさせる(この際,教師の個別支援もある),その問いをめぐり,全員が発言できる形式での話し合いの場を設ける,学期末に振り返りのパネルディスカッションを行うといった工夫がなされていた。
今回の発表タイトルを見たとき,アイヌ民族をオリエンタリズムの視線でとらえさせることになるのではと疑問をもったが,そうならないための設計が行われており,一貫性と迫力のある実践だと思った。一方で,先住民の土地を奪ったという植民の歴史を常に省みるカナダであっても,日本語教育でなぜ日本のマイノリティを扱わなければならないという点は完全には理解できなかった。
発表者による,包摂社会を考える基盤づくりを目指すという主張は説得的だが,そのことをなぜ日本語学習者が学ばなければならないのか。カナダの日本語学習者は社会の中でマジョリティの場合が多いだろうと予想されるので,その意義はある。他方,もし日本で行うなら,マイノリティである日本語学習者ではなく,マジョリティが学ぶべき内容かもしれない。
【口頭発表】丸山千歌,小澤伊久美「日本語教育プログラム運営における評価学的知見の活用―日本語教育プログラムにおける評価実践と理論の接続」
ある大学の日本語教育プログラムにおける日本語相談室事業の,効果的で負担の少ない運営方法について,評価学の知見を得ながら改善してきたプロセスのアクション・リサーチ。
この事例では,日本語相談室というある意味付加的な活動について,冷静に利用数の増減を把握・分析したうえで,教員同士で議論を重ね,他部局,学生の声なども活かしながら改善策を提案・実行,大学当局から予算も少しずつ獲得してきていた。自分の立場や実践に重ね合わせて考えると,反省が迫られる内容だった。
午後
【教師研修】中込達哉「教師の役割を考える―AIビギナーの旅」
生成AIの研究開発に携わっているというゲストも加わっての講演。講演の内容自体が,AIを実際に使って作られており,授業準備に応用可能な事例も多数紹介された。聞けば聞くほど,生成AIでここまでできるなら,学習者の大半は日本語を自律的に学ぶのではないか,教室で対面で学ぶことを希望する者の数は非常に減少するのではという印象ももった。
教師研修ということで,テーブルをまわる講演者に直接質問する機会もあった。研究開発者に,即時的な翻訳ツールの開発進度を尋ねたのち,その現状だと言語学習は残るだろうけれど言語教育は不要になるのではという質問をぶつけてみた。前者については,開発はかなり進んでいるが,言語間の距離次第で即時性は変わる,たとえば日本語と英語の場合のタイムラグは残る,後者については言語教育は残るだろうけれど変わらざるを得ないのではないか,文化に関わるコンテンツの機微を扱う,アイデンティティの保持のために教育するなどという答えがあった(記憶がやや曖昧)。
基本的な外国語運用がツールによって代替されるなら,外国語学習は,文化などのコンテンツに惹きつけられた趣味的な動機をもつ者と,即時かつ高度な理解・表現を求める専門家とが行っていくことになるだろう。さらにそうした者の中で,人間である教師や他のクラスメートとともに学ぼうとする者はどれぐらい残るだろうか。
2025年8月18日(月)BC州日本語教師情報交換会
研究会国際交流基金トロント日本文化センター,ブリティッシュ・コロンビア大学主催,カナダ日本語教育振興会(CAJLE)協力で行われた,BC州日本語教師情報交換会に参加した。
午前
イベントは,開催の地が先住民の土地にあることを改めて確認する,Language Acknowledgementという文章の唱和で始まった。
関係者の挨拶ののち,情報交換会ということで全員が一人1分以内で自己紹介をした。私の記録では,参加者は合計46人。BC州内またはカナダ国内からが多かったが,Air Canadaの乗務員ストライキの影響を受けながらも,カナダ以外からの参加者も10人ほどいた。教育現場も,中等教育,高等教育,補習校,成人対象日本語学校など幅広い。
【講演】中込達哉「アルバータ州での日本語教育現状報告―中等教育を中心として」
先日旅行で行ったばかりの,アルバータ州の日本語教育の現状を中心とした講演。私は州都のエドモントンの中でもダウンタウン周辺にしか行かなかったのだが,バンクーバーに比べアジア系住民が少ないという印象をもった。旅行から戻り,企業の駐在関係者中心に日本人が結構住んでいるらしいということを知った。
今日の講演では,アルバータ州の日本語学習者数はカナダの州では3番目に多く,中等教育でも第二外国語としての日本語科目履修者がかなりいるとのことだった(日本につながりのある生徒の履修者もいる)。
ただコロナ渦以降,日本語に限らず外国語教育の予算が減少する傾向にあり,その要因の一つは,STEAM(Science,Technology,Engineering,Art,Mathematics)という科学教育に重点が置かれはじめたためらしい。
アルバータ州は北海道と姉妹都市で,人的交流が盛んだということも強調されていた。
- The Canada-Japan Society(日加協会): Sister Cities: Alberta - Hokkaido
- Alberta Government: Hokkaido - Alberta relations
- Consulate-General of Japan in Calgary: Japan-Canada Twinnings Under the Jurisdiction of the Consulate-General of Japan in Calgary
【講演】西野藍「日本における日本語教育の動向とICU(国際基督教大学)の日本語教育」
前半は登録日本語教員制度に関する網羅的な説明。カナダ在住の日本語教師が日本で教師になろうとする場合,この資格取得が有利に働く可能性があり,必要な情報提供だったと思う。
私がもし資格を取ろうとすれば,講習修了が必要であり,試験は受けなくてもよいものの試験の願書を出さないといけないようだ。自分で調べてみたところ,今年の試験の願書締切の8月22日に間に合わせるためには,7月20日までに講習を受けておくことが望ましいということで,事前の準備が必要だ。
文科省が,「日本語教師の学び直し・復帰促進アップデート研修事業」という事業を始めていることも知った。
将来の日本語教師の需要が正確に把握されていない中で,日本語教師の新たな国家資格を創設したり,復帰を促進したりすることで,教師が余ることにならないか。
後半は国際基督教大学の日本語プログラムについての紹介だった。第一言語・継承語としての日本語コースがあるということで,日本国内ではとても珍しい取り組みだと思う。
午後
情報交換会
シャケ弁当の昼食をいただきながら,同じテーブルの方と情報交換をした。私が自己紹介で日本語教師の待遇に関心があると話したこともあり,海外赴任と異動が当然の職種の場合,プライベートの長期的な計画が立てにくく,日本語教師のキャリア継続にも大きな影を落とすことなどを意見交換。
昼食後の情報交換会は,テーブルごとにテーマが付され,自分で好きなところに座って話をするという仕組み。私は,前半はEquity, diversity and inclusion,後半はAIのテーブルに座った。
Equity, diversity and inclusionの話題の一つは,日本語教育の教師にとって,diversityの概念理解は可能なものの,equityとinclusionをどう制度的に実現するかというものだった。学習者が何らかの問題を抱え,合理的配慮が求められる場合,個別の状況にどのように配慮し,かつ成績評価等での公平性をどのように担保できるのか。教育機関としての制度・仕組みが整わないうちに,個々の現場で手探りで進められている現状がある。
私は,equity, diversityを内容重視の授業のトピックとして扱うことに必然性はあるのかという質問をした。日本語教育において,公正性や市民性を目標とし,それをテーマにしなければならないのはなぜなのか。時間がなくあまり話せなかったと記憶しているが,二日目の口頭発表で,アイヌ民族の歴史や現状を扱った日本語教育実践の発表が行われる予定であり,そのことも念頭に話題に出してみた。
後半はAIのテーブル。現場での対応の苦慮,成績評価のための手書きの復活など,話は尽きない。生成AIが登場したことにより,学習者が知識なり技能なりを習得したかを確認する際,AIが使用できない方法(手書き)が復活するのは理解できる。ただ,仮に生成AI利用で答えられる問いなのだとすれば,現実の問題解決場面でもAIを利用すればよいのではないかという疑問が残った。
2025年5月13日(火)Panel Disucussion: Blending AI and Human Creativity in Learning
研究会教育学部のLearning Design & Digital Innovationによるパネルディスカッションを聞いた(Zoom)。
EAL(English as an additional language)が専門のパネリストは,教材作成にAIを使えば,ほかにもっと重視すべき仕事に時間を使えるということで,実例を紹介していた。
ほかのパネリストの中には芸術(音楽)教育の研究者もいたが,そうした分野と付加言語教育とでは,AIの役割はかなり異なるのではないか。DeepLを使いながら,チャットに流す質問を必死でまとめて投稿。
Immediate translation of not only written language but also spoken language will soon become a reality. Under these circumstances, what is the significance of learning languages other than one's first language? As teachers of additional languages and foreign languages, we expect AI to reduce our workload and allow us to devote more time to more important tasks. However, students may also want to leave language use to AI and spend their time on other things.
終了間際の投稿になってしまったので直接の回答は得られなかった(と思う)が,パネリストたちは最後に,先住民族の言語の保存や翻訳,使用にとってAIはとても役に立つ,そのことは大変すばらしいことだといったコメントをしていた。それはとてもよくわかるのだが,だとすればなおさら,一人ひとりの人間が,第1言語以外の言語を自分の身の中に習得する意義,そしてそれを支援する教育の意義はどこにあるのだろう。翻訳も含めた高度な言語使用,楽しみとしての言語使用のためにということは十分にありうるし必要だとは思うが。
2025年5月9日(金)Graduate & Postdoctoral Research Day '25
研究会今日はUBC Language Sciences による,the sixth Graduate and Postdoctoral Research Dayという発表会を聞きに行った。
UBCの言語系のさまざまな学科所属の院生だけでなく,ビクトリア大学やサイモンフレーザー大学からの発表者もいた。
こうした集まりにはつきものの,軽食・昼食付き。
ランチの時間のポスター発表でChild Language Brokering(CLB)という概念があると知った(Laurie He, Child Language Brokering in Clinical Contexts: An Arts-Based Engagement Ethnography with Newcomer Youth and their Families)。日本での,日本語を第1言語としない親のために子どもが通訳をすることにあたる。こうした子どもは日本ではヤングケアラーに含まれているが,カナダではCLBという概念があるらしい。
午後の一つ目の発表は,5人の教授陣による論文・本の出し方に関するアドバイスのパネル。パネリストには,とんでもない数の論文・本を刊行していたり,カナダで引用件数上位2%に入る教授もいた。
印象的だったこと。
- 研究者としてのキャリアを積むためにはまず何よりも査読付き論文を出す必要がある。複合領域でどこに投稿したらよいか迷う場合は,自分が何のために研究するのかというストーリーをはっきりさせ,それを伝えたい読者のいる雑誌に投稿せよ。
- 意地悪な2人目の査読者というのは常に存在する。自分は,自分に対しての意地悪なレビューコメントをかえりみて,そうならないよう努めている。
ウェブ上の広告の内容分析を用いて,グローバルな人身取引システムが疑われる事例を探し各サイトの特徴を分析した発表も興味深かった(Joeun Chong, Unveiling the Language of Sex Trafficking: A Comparative Content Analysis of Advertisements on YesBackpage, Leolist, and Locanto)。共通する記述は,カナダには短時間しか滞在しない,体が小柄である,いつでも応じるといったもの。未成年で足がつきにくい相手であることが強調されているようだった。
2025年5月3日(土)BC TEAL 2025 Annual Conference, Day2
研究会2日目:午前
引き続きBC TEALへ。まずAI関係の発表を聞いた。8時半からの開始だったが会場は立ち見が出るほど盛況。発表者は,各種AIサービスやオフラインでも使える自作アプリを紹介し,実際の使用方法を詳しく説明していた(Nathan Hall, Crafting Interactive Language Activities: Teaching Transformed Through Generative)。pptを撮影する聴衆も多く,実践的な内容として人気を集めていたようだ。私自身は昨日に続き,便利なツールだとは思ったが,第2言語教育の質をtransformさせるほどのものなのかはよくわからなかった。
これまでもラジオ,テープ,CD,オンライン教材などなど,新しい言語を身につけるためのツールは次々と生まれてきた。AIは,個人が第1言語以外の言語を自分の身につけることの必要性そのものをなくすかもしれない。従来の学習ツールとは全く異なる性質をもっており,言語教育はそのことをどうとらえるべきなのかを考えたいのだが,今回の大会でヒントは得られなかった。
次は学術目的のための英語教育と批判的教育との統合についての発表(Jennifer Walsh Marr, The Promise and Precarity of Critical Pedagogy in English for Academic Purposes)。複数の観点から統合の必要性を述べたのち,教師の専門性(何をすべきか)を具体的に説明していた。私が理解できた範囲では,教師の専門性は,社会的課題の解決に関係する,学習者の専門やニーズにあった本物の(オーセンティックな)教材を準備し,レベルに合わせて書き換えを行うこと,のようだった。例示されたテーマが食糧問題か何かで,社会的課題自体がパターン化してきているのではという印象をもった。
最後は「社会的感情の学習」に関する発表(Shawna Cole, Social Emotional Learning: a game-changer for English language learners)。発表者が,過去に受けた付加言語教育(X as an additional language: Xには各言語が入る概念)強いストレスを受け一種のトラウマとなったことがきっかけだったらしい。学習者に今の自分の気持ちを気づかせる(self-awareness)などすることで,言語学習に対する不安をやわらげ自信をもたせる,それにより教室運営もうまくいくようになるという話だった。「社会的感情」というタイトルと要約から,人種差別などに関連するテーマかもしれないと期待して聞きにいったが,どちらかというと臨床心理学の学習不安に関連する内容だった。
一日半ほど大会に参加し,BC州で英語を追加的言語として教える教師たちが求めているものや,教師たちの属性など,なんとなくの様子を垣間見ることができた。最近,留学生政策の変更により英語学習者数が減り英語教師のリストラが進んでいるらしい。大会に来られているということ自体,ある程度は安定した立場の教師たちであり(会場で「私はプログラム・コーディネータで責任はあるけれど,使う教科書を決められる立場ではない」といったような発言を耳にしたので,終身雇用を約束されているわけではない教師も多数いたようだったが),より不安定な教師とは出会うことも難しいかもしれない。
5月2日(金)BC TEAL 2025 Annual Conference, Day1
研究会1日目:午前
開会式では,会長の挨拶のあと,先住民族の人のスピーチとパフォーマンス。4月26日(土)におこったフィリピン祭り(Lapu Lapu Day Festival)での事件を悼む内容。
BC州では2021年に,先住民族の子どもたちの寄宿学校(強制収容施設)で,215人の遺骨が見つかっている。
- Remains of 215 children found buried at former B.C. residential school, First Nation says | CBC News
同化政策が行われていた歴史があり,学校や地域で行われるイベントではしばしば先住民族が招かれ,コメントを述べたり伝統文化を披露したりする。BC州において,圧倒的なマジョリティ言語である英語の教師の大会が,開催されるということでのオープニングの一幕。
続いて,久保田竜子さんの講演
私自身はアメリカで働いていたときよりもはるかに,私の英語に対する人々の寛容度が高いと感じている。しかし私が気がついていないだけで,カナダで生まれ育ったXX系カナダ人や,カナダでの英語学習者が,差別的な対応をとられることも多々あるようだ。
講演内では,そうした状況に関し久保田さんらが作成した動画の証言集が紹介された。
講演によれば,言語規範と人種差別を問題とする研究は1970年代から行われてきたが,そうした研究の成果と現場の教育実践との間のギャップはいまだにある。久保田さんは,この動画を教育実践で使うことなどを提案していた。
午後
今回の研究留学の目的の一つは,第2言語教育におけるAIの意味を考えること。午前・午後と関連する報告を二つ聞いた。午前のものは,英語教師がAIを知っていることの重要性を繰り返し説いたのち,英語教師用のトレーニング・プログラムに誘導しようとする内容。ほかにも,NPO・政府系・商業系とプログラムを宣伝するような発表も多いようだった。
午後のほうは,テストづくりや読解教材づくりにAIが使えるということで,具体例を紹介する内容(Denise Lo, Practical GenAI Prompts for the EAL Classroom)。AIに適切な指示(prompt)さえ出せば,学習者が自分でそれぞれの興味・レベルに合わせた読解教材を作成し,その確認問題も得られるという例など。教師の専門性は,AIの説明の誤りを指摘したり,レベルに合ったAIへの指示の出し方を教えたりといったところにあると説明されていた。言語能力(スキル)の向上を目標とするなら,AIがここまで便利に使える現状において,教師が教室で教えることの意味はどこにあるのかという疑問は残った。
今日一番印象深かったのは,介護士育成課程における,英語教育プログラムについての発表(Tanya Cowie, Transformative Strategies for the Classroom)。発表者はそうしたプログラムで,日誌やアートといった表現方法を使いながら,社会正義の重要性を認識させようとしてきたという。transformationの技法が今大会のテーマであり,プログラムを受ける中で,学習者が,多文化や他者を尊重することの大切さを認識していった様子が印象的だった。ただ,会場からは「「社会正義」とは何か」「とても困難な状況で学んでいる学習者にとっては,ここでの生活に適応しようとすることで精いっぱいだ」「宗教上の規範により教室内で男女別に座っている状況で,「社会正義」を扱う事には制限がある」といった発言もあった(たぶんそんな発言だっただろうという,私の完全な意訳)。
近くの人と意見交換する時間も設けられていた。私自身は,学習者が社会正義を知り介護の現場に出たとして,介護を受ける人が価値観を共有していない場合もあるのでは,むしろマジョリティが学ぶべき内容なのではという感想を持った。
この発表で驚いたのは,介護士養成課程在籍者の出身の一つに,日本があげられてていたことだ。18歳ぐらいの人がほとんどの2年間のコースということだったが,日本の高校を卒業しカナダに来て介護士の学校に行くという進路選択がありうるとは,考えたことがなかった。同じ介護士という職に就くなら,カナダのほうが待遇・給料がよさそうだし,英語で資格をとれば他の英語圏でも働ける可能性も拓けるだろう。バンクーバーではあまりベトナム人を見かけないが,この養成課程にはベトナム人も在籍しているということであり,人材獲得競争の厳しさとグローバル化を感じた。